TEL&FAX0799-32-1212
メールでのお問い合わせ

紀繍乃や きしのや

新着情報
HOME > 新着情報 > 源 満仲の龍退治と三ツ矢サイダー

源 満仲の龍退治と三ツ矢サイダー

2019.02.03

今回は、兵庫県 南あわじ市 二つの地区の年代物の水引幕をご紹介いたします。

題材は『源満仲、龍退治乃図』です。この物語は炭酸飲料として有名な、三ツ矢サイダーの発祥と、深く関係があるそうです。

源満仲

~アサヒ飲料 三ツ矢サイダーのホームページより~

「三ツ矢」という名前の由来は、平安時代にまでさかのぼることができます。清和源氏の祖、源満仲が城を築くため、現在の大阪にある住吉大社に祈念したところ、『矢の落ちたところを居城にせよ』と白羽の鏑矢(かぶらや)を与えられました。お告げどおり、満仲が鏑矢を天に向けて放つと、矢は火を吹いて飛び、見えなくなりました。射った鏑矢は、現在の兵庫県にある多田沼に棲みついて住民を苦しめていた”九頭の龍(くずのりゅう)”に命中。
そこで源満仲は、多田沼に居城を定めて多田源氏と名のりました。満仲の放った矢を見つけた孫八郎には領地ともに、「満仲の矢(満矢)」にちなみ、「三ツ矢」の姓と三本の矢羽根の紋を与えました。
そんな満仲がある日、鷹狩りに出かけたとき、居城に近い塩川の谷間の湧き水で一羽の鷹が足の傷を治して飛び立つのを目の当たりにし、湧き水が霊泉(れいせん)であることを知ります。それが、多田村平野(現在の兵庫県川西市)の天然鉱泉です。以来、明治初年頃まで、霊泉を沸かした平野温泉郷は永く繁栄してきました。明治時代に平野温泉の水は「平野水」という鉱泉水として認知され、その後、伝承にちなんだ名称をとりいれた「三ツ矢平野水」「三ツ矢タンサン」として市販されるようになりました。これが、後の三ツ矢という商標になったのです

mitsuya2

 

 

 

◎兵庫県南あわじ市阿万、「塩屋町」地区の水引幕。明治43年製。小泉久吉縫師の作 (但し 一度 載せ替え修理をしたと思われます。)

190203_1601_001shioya1

龍(九頭の龍)の尾

 

 

 

190203_1601_001shioya2

龍(九頭の龍)の頭

 

 

 

190203_1601_001shioya3

後の三ツ矢孫八郎(源満仲の家臣)

 

 

 

190203_1601_001shioya4

源満仲

 

 

 

190203_1601_001shioya5

住吉大社

sumiyoshi

 

 

 

 

 

 

 

◎兵庫県南あわじ市榎列、「小榎列」地区の水引幕。明治時代製。小泉久吉縫師の作 (但し昭和9年に下地を羅紗地から純金糸縫い潰しに大改修)

190203_1601_001koenami1

龍(九頭の龍)の尾

 

 

 

190203_1601_001koenami1koenami2

龍(九頭の龍)の頭

 

 

 

190203_1601_001koenami3

後の三ツ矢孫八郎(源満仲の家臣)

 

 

 

190203_1601_001koenami4

源満仲

 

 

mitsuya1

源満仲の矢。満矢(みつや)~三ツ矢サイダーの物語でした。

ページの先頭へ