2018.07.15
本日7月15日日曜日に淡路市の室津西濱地区の土用干しにおじゃまさせて頂きました。
太鼓蔵の奥に眠っていた古い刺繍幕があると伺い、お預かりいたしました。
作業場に持ち帰り、写真撮影と制作年代の調査のため、生地の内部に入っていた古い新聞紙を取り出しました。
撮影画像を掲載させていただきます。
持ち帰った水引幕・幟・布団締め・見送り幕?。
見送り幕?、年代物の刺繍です。図柄『左龍の丸』。 爪牙、背ビレの針には、本象牙が使用されています。
形状が縦長であることから、おそらく見送り幕ではないかと推測されます。京都の祇園祭りや、岐阜県の高山祭りの見送り幕も同じような形状をしています。
龍の布団締め。図柄『阿吽の龍』。非常に年代物の刺繍です。 淡路の布団だんじりの布団締めとしては、丈が かなり短いような気がします。また布団締めは通常八つなので数があと四つ不足しています。
刺繍の技法と全体的な図柄の雰囲気から、明治初期頃に制作されたと推測されます。
龍の口元のイガや腕、鱗に肉が入っていないのは、浄瑠璃の人形衣装によく使われる刺繍の縫い方です。
「奉」の文字の幟です。白い綿の生地に金糸で縁取り(金駒縫い)を施しています。
『室津西濱中』の文字。
水引幕 金綱の図柄を刺繍で表現しています。幕の総丈から曳きだんじり用の水引幕だと推測されます。
西濱地区は、現在の布団だんじりの前に曳きだんじりを所有していたそうです。
水引幕の裏生地です。昔は幕の裏生地にこういった柄物をよく使用していました。
水引幕の黒ヘリ部分に新聞が入っていました。
幟の乳部分にも新聞紙発見!!
それぞれの新聞紙を回収しました。これから新聞紙の日付を調べます。
まずは幟に入っていた新聞紙です。日付が『明治三十二年』と表記。
水引幕に入っていた新聞紙です。日付が『昭和十年九月二十八日』と表記。
最後は、布団締めに入っていた新聞紙、『昭和五年九月十六日』と表記。
布団締めの雲部分に使用されている金糸が他と比べて新しいこと、色糸に彩色の跡、そして一匹だけガラス目玉の修理の跡があることから、後に載せ替え修理があったと推測されます。
まとめ、古い順に
◇ 布団締めは、明治初期頃に制作。 後の昭和五年頃に載せ替え修理があったと推測。
◇幟は、明治三十二年頃に制作。
◇水引幕は、昭和十年頃に制作。
◇見送り幕?は、制作年代不明。
あくまで推測ですが、このような調査結果になりました。
2018.07.18
先日、淡路市西濱地区の古い刺繍のご紹介を致しましたが、その後 西濱地区の ある方から、戦前に撮られたという古い写真を見せて頂くことができました。画像の掲載と、説明文章の訂正をさせて頂きます。
こちらが戦前に撮られた室津秋祭りの写真です。
上の画像が、西濱地区の旧だんじり です。以前は曳きだんじり と思われていたのですが、破風型の屋根をした『遣いだんじり』であった事が判明いたしました。屋根の上に実際に綿の入った布団を五段 重ねられた珍しい つくりになっています。
矢印の先には、かすかに黒い布団締めが確認できます。前後に二枚ずつ取り付けられていたので、計四枚で合っていたわけです。
これは御旅所に向かう だんじりの様子を撮ったものです。遠くの坂道を上っているのが西濱の遣いだんじりです。
矢印の先に、かすかに白い縁をした刺繍らしきものが確認できます。見送り幕と掲載いたしましたが、長方形の形をした『天幕』である事が判明いたしました。普段は見えない龍の刺繍が山の坂道を上る際に現れるというわけです。納得いたしました。
~訂正~
◇西濱地区の旧だんじりは、曳きだんじり☓ → 遣いだんじり◎
◇遣いだんじりの布団締めは、明治初期頃に制作。 後の昭和五年頃に載せ替え修理があったと推測。
◇幟は、明治三十二年頃に制作。
◇遣いだんじりの水引幕は、昭和十年頃に制作。
◇遣いだんじりの天幕は、制作年代不明。
このような最終調査結果になりました。