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紀繍乃や きしのや

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高欄掛け

「高欄掛け」新調

地区名 兵庫県神崎郡福崎町(秋祭り)西治
図柄 「源三位頼政、蛇身鳥退治乃図」

○源三位頼政(1105~1180年)


蛇身鳥退治の物語は、延享4年(1747年)刊の仏教説話「小夜中山靈鐘記」にある。古来より東海道の三大難所と知られる遠州の佐夜(小夜)の中山峠に、平安時代末期「蛇身鳥(じゃしんちょう)」と呼ばれる、蛇の身体と刃の羽を持つ化け物が現れた。
帝の命を受け、当時弓の名人の名をほしいままにしていた源三位頼政が、これを退治したとされる。

方角〈東〉。季節〈春〉。五行色〈青〉。青を強調。瑠璃色の岩。衣装に春牡丹の柄。家紋〈笹竜胆〉。

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「高欄掛け」新調

地区名 兵庫県神崎郡福崎町(秋祭り)西治
図柄 「仁田四郎忠常、猪退治乃図」

○仁田四郎忠常(1167~1203年)


建久4年(1193年)、源頼朝は富士の裾野で関八州の将士を集めて大規模な狩猟を行った。巻狩の最中、傷ついた巨大な猪が頼朝の仮屋近くに駆けてきたが、仁田四郎忠常は後ろ向きに猪に飛び乗り、腰刀を猪の胴に突き立ててこれを退治したとされる。

方角〈西〉。季節〈秋〉。五行色〈白〉。白色を強調。白い苔。秋の落葉。家紋〈亀甲ニ花角〉。

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「高欄掛け」新調

地区名 兵庫県神崎郡福崎町(秋祭り)西治
図柄 「猪早太廣直、鵺成仏乃図」

○猪早太廣直(平安時代末期の武将)


仁平(1151~1154年)の頃、御殿の上に夜な夜な、黒い雲と怪鳥が現れて帝を脅えさせた。源三位頼政は、勅令を受けて怪鳥を退治する事になり、猪早太廣直を供として弓矢で黒雲の中の怪しき物を射落とした。猪早太廣直が落ちてきたものを短刀 骨食(こっしょく)でとどめを刺し成仏させた。火を灯してその正体を見ると、頭は猿、体は狸、手足は虎、尾は蛇という怪物であった。

方角〈南〉。季節〈夏〉。五行色〈赤〉。赤色を強調。赤松。夏の雷。家紋〈丸ニ平井筒〉。

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「高欄掛け」新調

地区名 兵庫県神崎郡福崎町(秋祭り)西治
図柄 「俵藤太秀郷、大百足退治乃図」

○俵藤太秀郷(平安時代中期の武将)


俵藤太秀郷は、弓矢の名手。後に平将門を討って轟名をはせた、かの豪傑である。ある日、近江の国 瀬田橋の上に横たわる大蛇をおくせずにまたいで通ったことからその大蛇に化身した龍神に武勇を見込まれ、三上山に住む大百足を退治することを懇願される。俵藤太秀郷は、これを受け入れ、大百足を弓矢で退治したとされる。

方角〈北〉。季節〈冬〉。五行色〈黒〉。黒色を強調。黒松。北(冬)を守護する毘沙門天を表す「毘沙門亀甲」柄の袴。百足は毘沙門天の前では神妙になる。家紋〈三ツ葉蔓藤〉。

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「高欄掛け」大改修

地区名 兵庫県高砂市(秋祭り)戎町
図柄 「退治物四場面」

~図柄の解説~

『六孫王経基、龍退治乃図』

〇六孫王経基 ろくそんおうつねもと (?~961年)

清和天皇の第六の皇子、貞純親王(さだすみしんのう)の子であることによって六孫王の名がある。清和源氏の祖。承平二年(932年)の秋の頃、貞観殿の築山に大きな牝鹿が現れ、血を注いだような眼で御殿に飛び入らんばかりの様子であった為、射芸に達した経基が鏑矢を放つと、矢は違わず鹿の頭を貫いた。

※図柄は、鹿を龍に転じたと考えられている。



『加藤清正、虎退治乃図』

〇加藤清正 かとうきよまさ (1562~1611年)

江戸初期の肥後熊本の城主。豊臣秀吉の家臣で賤ヶ岳(しずかだけ)七本槍(しちほんやり)の一人に数えられる武将である。関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主となる。(1592~1598年)海を渡り、文禄・慶長の役(ぶんろくけいちょうのえき)において「片鎌槍」(かたかまやり)での虎退治の逸話が有名である。



『隠岐次郎左衛門、怪鳥退治乃図』

〇隠岐次郎左衛門 おきのじろうざえもん (1305~1369年)

建武元年の秋、都に疫病が流行し、内裏の紫宸殿(ししんでん)の上に怪鳥が現れて「いつまで いつまで」と鳴く。左大臣 藤原時平に仕えていた隠岐次郎左衛門が勅命を受けてこれを退治したとされる。後にこの怪鳥をその鳴き声から「以津真天(いつまで)」と呼ぶようになった。




『西塔鬼若丸、怪魚退治乃図』

〇西塔鬼若丸 さいとうおにわかまる (?~1189年)

平安末期の僧兵。源 義経の郎党。武蔵坊弁慶が稚児であった時の剃髪前の幼名。比叡山の西塔に預けられていたため、西塔鬼若丸の名で呼ばれていた。錦絵「十六武蔵坊」の説明文によれば、鬼若丸は比叡山の池に住む怪をなす大鯉を一人で退治したとされる。

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「高欄掛け」新調

地区名 兵庫県姫路市大塩町(秋祭り)宮本丁
図柄 「素戔嗚尊、八岐大蛇退治乃図」

天照大御神の弟、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲の斐伊(ひい)川で暴虐の限りを尽くしていた八首八尾の八岐大蛇(やまたのおろち)を酒で酔わせ、十拳剣(とつかのつるぎ)で八つの首を切り落とし退治した。そのとき、大蛇の尾から天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、後の草薙剣(くさなぎのつるぎ)を得たとされる。

方角〈東〉。季節〈春〉。五行色〈青〉。青色を強調。瑠璃色の岩。副主題(衣装柄)〈波〉。家紋〈五瓜ニ唐花〉。

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大蛇アップ8

すさのおアップ

「高欄掛け」新調

地区名 兵庫県姫路市大塩町(秋祭り)宮本丁
図柄 「加藤清正、虎退治乃図」

江戸初期の肥後熊本の城主。豊臣秀吉の家臣で賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍(しちほんやり)の一人に数えられる武将である。
海を渡り、文禄・慶長の役(ぶんろくけいちょうのえき)において、「片鎌槍」(かたかまやり)での有名な虎退治の逸話である。

方角〈西〉。季節〈秋〉。五行色〈白〉。白色を強調。白い苔。副主題(衣装柄)〈笹〉。家紋〈蛇ノ目〉。

加藤

虎アップ

かとうアップ

「高欄掛け」新調

地区名 兵庫県姫路市大塩町(秋祭り)宮本丁
図柄 「隠岐次郎左衛門広有、怪鳥退治乃図」

建武元年、都に疫病が流行し、内裏の紫宸殿(ししんでん)の上に怪鳥が現れて「いつまで いつまで」と鳴く。左大臣 藤原時平に仕えていた隠岐次郎左衛門広有が勅命を受けて、これを退治したとされる。後にこの怪鳥をその鳴き声から「以津真天(いつまで)」と呼ぶようになった。

方角〈南〉。季節〈夏〉。五行色〈赤〉。赤色を強調。赤松。副主題(衣装柄) 〈松〉。 家紋〈四ツ目菱〉。

おきの

鷲アップ

おきのアップ

「高欄掛け」新調

地区名 兵庫県姫路市大塩町(秋祭り)宮本丁
図柄 「宮本武蔵、山鮫魚退治乃図」

現在では、宮本武蔵は、二刀流始祖の剣豪として広く知られているが、本図の話は、享和3年(1803)刊の「繪本ニ島英雄記」にある。 美濃飛弾の境、穴間越(あなまごえ)の山中において、武者修行の折りに遭遇した、巨大な山鮫魚(やまざめ)を槍で突き通して退治したとされる。

方角〈北〉。季節〈冬〉。五行色〈黒〉。黒色を強調。黒松。副主題(衣装柄) 〈雲〉。家紋〈九曜巴〉。

むさし

鮫アップ8

むさしアップ

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