TEL&FAX0799-32-1212
メールでのお問い合わせ

紀繍乃や きしのや

作品一覧
HOME > 作品一覧 > 飾り幕

飾り幕

水引幕 新調

地区名 大阪府堺市百舌鳥(月見祭)土塔町
図柄 「波に双雲龍乃図」 寸法(15尺7寸×2尺5寸5分)

龍は天に棲み、雲雨を自在に操る力を持つとされ、恵の雨を地上にもたらし、雷によって邪気を払うと言い伝えられている。
※猩々緋羅紗地(ウール100%)に阿吽の龍が追いかけている姿を肉入レ刺繍で表現いたしました。阿は宝珠を持ち雌とされ、吽は剣を持ち雄とされている。金糸は(純金糸、本金糸やまぶき)の2種類と銀糸は(プラチナ銀糸)、色糸は正絹を使用いたしました。龍の爪牙には本象牙を使用、水玉には錺金具を使用いたしました。乳には「土・塔・町」の角文字を純金糸の撚金を用い、肉入レ刺繍をいたしました。

dotou1

dtou2

「水引幕」 新調

地区名 大阪府堺市百舌鳥(月見祭)土塔町
図柄 「竹に虎乃図」 寸法(9尺7寸5分×1尺3寸8分)

虎は竹林に棲み、陸上に棲む動物の王と云われ、五毒を除き、魔除けの性質を持つ。「虎は千里を言って、千里を帰る」と伝えられ、一日に千里の距離を走り、千里を戻ってくることができるほど優れた行動力を持っている。また「虎は子思うて、千里を帰る」という言葉もあり、親が子を思う気持ちの強さを表します。巨大な力を秘めた虎は、あらゆる厄災を追い払う守護神をして崇められている。
※猩々緋羅紗地(ウール100%)に雌雄の虎が追いかけている姿を肉入レ刺繍で表現いたしました。金糸は(赤口、つや)の2種類と銀糸、色糸は正絹を使用いたしました。

dotou1

dotou2

dotou3

「水引幕」 大改修

地区名 兵庫県明石市(秋祭り)岩屋神社布団太鼓保存会東戎町
図柄 「龍虎乃図」 寸法(15尺1寸5分✕2尺9寸2分)

昭和30年に小紫商店絹常にて制作された水引幕です。図柄は『龍虎乃図』。龍虎乃図は元々古代中国四方四神の思想から描かれるようになった。四方四神とは、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武という四聖獣が世界の四方を守っているという思想である。やがて東の龍と西の虎を対にした図がさかんに描かれるようになり、特にその勇猛果敢な様子は戦国武将が好み、武家の旗指物から派生した絵のぼりにも描かれるようになった。後の祭礼に使用される懸装品の図柄に多く使用された。

※水引幕の刺繍に使用されている純金糸は、長年の湿気や摩擦等により変色、傷みが進んでいる状態でした。龍や虎その他の部品を水引幕から外し、古い金糸や傷んだ正絹糸をすべて取り外して肉だけの状態にし、新しい純金糸を使用し刺繍仕直しました。
下地の緋羅紗はウール100%の本羅紗を使用。金糸は純金糸、本金糸を使用。色糸は正絹を使用。波、波頭には白金糸(プラチナ銀糸)を使用いたしました。

IMG_0035 ebisu

IMG_0035 iwaya1

IMG_0035 iwaya2

「水引幕」新調

地区名 兵庫県南あわじ市養宜上(春祭り)上八木青年団
図柄 「龍虎乃図」 寸法(15尺×2尺8寸2分)

明治38年に淡路島の掃守村(現・南あわじ市掃守)の刺繍職人、名工 小泉久吉氏によって制作された水引幕を純金糸と正絹糸を用いて明治時代の繍技で復元新調いたしました。龍と虎の牙 爪は本象牙を使用。図柄は「龍虎乃図」。龍は、天に住み雲雨を自在に操る力を持つとされる想像上の動物で、恵みの雨をもたらし、その雷によって邪気を追い払うと伝えられている。又、虎は、陸上に住む動物の王と云われ、悪鬼さえも虎を恐れると云う意味から魔除けとして崇められている。『龍虎乃図』は、天の王者「龍」と陸上の王者「虎」が一対となる事のより、力強さと躍動感を表すと共に、神獣として吉兆を願う心を表現している。本作品は、地を駆ける虎と黒い渦雲の中を舞う龍が睨み合う姿を肉入レ刺繍によって表現されている。(また龍の後ろ胴に嚙みついている虎は子供の虎である)

kami1

IMG_8625kami3

kami2

「傘幕」大改修 江戸 文政~天保年間製

地区名 和歌山県紀の川市粉河(粉河祭り)本町
図柄 「鳳凰麒麟乃図」 寸法(12尺2寸×2尺8寸8分)

江戸時代(文政~天保年間)頃に制作されたものです。図柄は『鳳凰麒麟乃図』鳳凰は、古代中国では四霊獣の一つで麒麟・霊亀・応龍と共に尊ばれた想像上の生き物で、聖天子、出生の前触れとして出現すると伝えられている。孔雀に似た想像上の瑞鳥で、雄は「鳳(ほう)」、雌は「凰(おう)」とされ、仏教とともに日本に伝来した。麒麟は、中国神説に現れる伝説上の霊獣である。聖人が現れる前に出現すると伝えられている。また獣類の長とされ、これは鳥類の長たる鳳凰と比せられ、非常に縁起の良い図柄として鳳凰と麒麟はよく対に扱われる。


※傘幕の刺繍に使用されている純金糸、正絹糸は長年の湿気や摩擦、虫食いなどにより腐食が非常に進んでいる状態でした。それに加え、前回の補修によりボンド水溶液で固定、ペンキ塗りなどの間違った補修が行われていました。まずは金糸、正絹糸の上に付着した金色銀色のペンキ部分はシンナーで一つ一つ除去をし、除去しきれない箇所は、その糸の部分のみを切り取り、金糸の場合は古い金糸で刺繡修復を行い、正絹糸は僅かに現存している古い刺繍と補修前の写真を照らし合わせながら糸の色や糸の撚り方、技法を調査し慎重に作業を進めていきました。背景の飛雲は純金糸で復元新調、欠損していた鳳凰の尾羽のガラスは現存していたものを参考にして復元。下地の猩々緋羅紗は、別染めウール100%の本羅紗を使用いたしました。

honnmachi1

honnmachi11

honnmachi12

「緞帳幕」大改修 江戸 文政~天保年間製

地区名 和歌山県紀の川市粉河 (粉河祭り) 天福町
図柄 「三國志乃図」 寸法(23尺2寸5分×4尺8寸)三張り分

江戸時代(文政~天保年間)頃に制作されたもので「三國志」(180年~280年)に、主に劉備軍と曹操軍との戦いの名場面を三枚の幕にまとめたものです。

◆右幕「長坂の戦い、劉備、江夏へ逃れる」
長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)は、中国後漢末期の戦い。建安13年(208年)、荊州(けいしゅう)に進出した曹操(そうそう)は、少数精鋭で劉備を追撃し南部当陽県の長坂で追いついて、江陵(こうりょう)が劉備に奪われるのを防いだが、殿(しんがり)となった張飛の活躍により、劉備は江夏(こうかく)へ逃れた。

◆左幕「趙雲、幼主 阿斗を救う」
劉備が曹操軍に追われ敗走したとき、趙雲(ちょううん)は敵中に単身引き返して、劉備の妻子を発見し、深手を負った妻から一子 阿斗(あと)を託される。劉備の元へ急ぐなか、趙雲は誤って乗馬のまま深い穴に落ちてしまう。だが紅の光と雲気(うんき)が突然起こり、趙雲は穴を飛び出して曹操軍の攻撃を切り抜け、阿斗を無事に劉備に届けることができた。

◆後幕「長坂橋の張飛」
趙雲を追ってきた曹操軍の先鋒である文聘(ぶんぺい)が長坂橋に至ると、只一騎、馬に乗り予を横たえ踏ん張っている者がある。兜を脱いで髪の毛は逆立ち獅子の如く、眼は裂け赤く光り、その形相は悪鬼羅列(あっきられつ)も及ばないほど凄まじく「吾は燕人(えんひと)張飛(ちょうひ)なり。誰が来りて勝負を決せん」と雷のような大声を上げた。この声に震え恐れて曹操軍は、山の崩れるが如く逃げ出した。張飛の猛威は、たったの一騎で数十万の敵を追い返したのである。

IMG_6174Stenbuku2

右幕「長坂の戦い、劉備、江夏へ逃れる」

IMG_6169Stennbukua

左幕「趙雲、幼主 阿斗を救う」

IMG_6178Stenbuku3

後幕「長坂橋の張飛」

「本幕」新調 

地区名 大阪府阪南市(秋祭り)山中渓
図柄 「富士の巻狩り乃図」 寸法(20尺9寸×2尺2寸)

『富士の巻狩り乃図』建久4年(1193年)  源頼朝は、富士の裾野で関八州の武士を集めて大規模な狩猟を行った。狩りは5月26日から始まったが3日目の夕方、突然手負いの大猪が頼朝の仮屋近くに駆けてきた。仁田四郎忠常は後ろ向きに大猪に飛び乗り、腰刀を大猪の胴に突き立ててこれを退治したと云う。

横幅20尺以上にもなる「やぐら」用の本幕です。  旧本幕から下絵を写し取り雛型を制作し、約50種類以上の撚り糸を色・太さの調査をいたしました。今回特殊な撚り糸が多数あり、すべて見本を作成し撚り加減の数値を調べた後に本撚りを行い完全復元いたしました。また源頼朝の衣装を純金糸を用いた「枡縫い」や白馬の毛並は白正絹撚り糸を用いた「毛出し縫い」という繍技を新たに取り入れました。この技法は、明治時代の祭礼刺繍によく使われていた繍技で非常に手間がかかりますが、高貴で上品な印象を与える効果があります。富士山の霞部分の濃淡変化をプラチナ銀糸と純金糸、正絹糸を混ぜた撚り糸で表現。計36枚の乳には神社の社紋である「左三つ巴」「九枚笹」と「山・中」の角文字を純金糸の撚金を用い肉入レ刺繍いたしました。腰刀と薙刀は手打ちの錺金具で新調復元。大猪の大牙は本象牙製、下地の猩々緋羅紗は、別染めウール100%の本羅紗を使用いたしました。

IMG_5119ntta

IMG_5119ntta4

IMG_5118minamoto2

「行燈幕」大改修 大正時代製

地区名 和歌山県紀の川市粉河(粉河祭り)東町
図柄 「波に唐獅子乃図」 寸法(13尺7寸×2尺4寸5分)

大正時代(推定)に制作された飾り幕です。図柄は『波に唐獅子乃図』獅子は、堂々たるその鬣から百獣の王と呼ばれ、権力の象徴ともされてきた。日本では、猪(いのしし)、鹿(かのしし)と区別するため唐獅子と呼ばれる。唐獅子と代表的な組み合わせは、「花の王」と呼ばれた牡丹を描いた「唐獅子牡丹」であるが、本作品は「波」と「唐獅子」を組み合わせた大変めずらしい図柄となっています。

※三頭の唐獅子を旧幕から取り外し、頭、胴、尾などの部品を分解して、ほつれの綴じ直しと糊入レで補修いたしました。唐獅子のマユ毛と耳の先部分に縫い込まれていた、印度朱雀の尾羽根は劣化が進んでいた為、同様の新しい尾羽根を使用し復元いたしました。下地の波・波頭に使われていた古い金糸、白い撚り糸をすべて取り外し、駒に巻き取り、再び新しい下地に刺繍し直しました。新橋色と白藍色の撚り糸は、別染めの正絹糸で復元。下地の黒羅紗と ヘリ、乳の群青羅紗は、ウール100%の本羅紗(別染め)を使用いたしました。

IMG_3385完higashimachi

IMG_3385完higashimachi3

IMG_3385完higashimachi2

「水引幕」大改修 昭和30年製

地区名 兵庫県淡路市富島(秋祭り)東之町
図柄 「韓のケツ童子乃図」 寸法(14尺2寸×2尺8寸5分)

昭和30年に制作された大変豪華な純金糸縫い潰しの淡路型水引幕です。島内に数ある「韓のケツ童子乃図」の中でも、比較的に新しい時代の作品のひとつです。
『韓のケツ童子乃図』~城を築いた蛇~晋の懐帝の永嘉年間(西暦307~312年)に韓媼(かんおう)という老女が野原で大きな卵を見つけ、家に持ち帰り育てたところ、やがて人間の赤ん坊が生まれたので、ケツ児(後のケツ童子)と呼ぶことにした。ある日、遊牧民族出身の劉淵(りゅうえん)という権力者が平陽の地に城を築こうとしたがなかなか完成しなかった。そこで築城の上手な者を広く募った。ケツ童子はそれに応募し、蛇に姿を変えると韓媼に灰を用意させ「私の這っていく跡に灰を撒いていけば自然に城の縄張りが出来る」と教えた。韓媼は彼の言うとおりにしたところ立派な城(金龍城)が完成した。
※度重なる補修のため、金糸が非常に傷んだ状態でした。まずは、金龍城、龍、ケツ童子、龍の尾、雲を旧幕から取り外し細かく部品を分解して、ほつれの綴じ直しと糊入レで補修。傷みの激しかった背景の波は、すべて取り外し純金糸で新調いたしました。失われていた龍の爪、牙は本象牙で新調し、錺金具「逆蓮頭擬宝珠」と「龍剣」、御殿の「風鐸」も新調いたしました。

IMG_2472富島東之町

IMG_2472東之町龍

童子IMG_2472東之町ケツ

「行燈幕」大改修 大正時代製

地区名 和歌山県紀の川市 粉河 (粉河祭り)北町
図柄 「富士の巻狩り乃図」 寸法(12尺5寸×2尺2寸)

大正時代(推定)に制作された飾り幕です。図柄は『富士の巻狩り乃図』建久4年(1193年)源頼朝は富士の裾野で関八州の武士を集めて大規模な狩猟を行った。巻き狩りの最中、傷ついた巨大な猪が頼朝の仮屋近くに駆けてきたが、仁田四郎忠常は後ろ向きに猪に飛び乗り、腰刀を猪の胴に突き立ててこれを退治した。
※人物、獣を旧幕から取り外し、細かく部品を分解して、ほつれ綴じ直しと糊入レで補修いたしました。傷みの激しかった富士山は別染めの正絹撚糸で刺繍復元。夕日、松の幹、岩、砂、笹は旧幕から古い撚糸を慎重に取り外し、それを使って新しい下地に刺繍し直しました。下地の黒羅紗と、ヘリ 乳の緑羅紗はウール100%の本羅紗を使用いたしました。

粉河北町 行燈幕

粉河北町 行燈幕1

粉河北町 行燈幕2

「傘幕」大改修 幕末~明治初期製

地区名 和歌山県紀の川市 粉河 (粉河祭り) 北町
図柄 「波に雲龍乃図」 寸法(14尺5寸×2尺5寸)

幕末~明治初期に兵庫県の神西郡千原村(現・神崎郡市川町千原)の刺繍職人、岩田虎市氏によって制作された飾り幕です。下絵の名に「岩」の印があることから、自ら下絵も描き刺繍を制作していたものと思われます。図柄は「波に雲龍乃図」荒波の中から天に昇る龍が肉入レ刺繍によって表現されています。
※制作から約150年経過しており、金糸、正絹糸、羅紗生地ともに激しく傷んでいたため、龍に使われていた腐食の進んだ古い金糸をいったん取り除き、古い肉に綿を付け足し整えてから、新しい純金糸で、刺繍復元いたしました。龍の角、イガ、腹部分は傷みの少なかった古い金糸をあえて残しました。雲 波部分は純金糸、黒色正絹撚り糸で(旧幕に残っていた墨の跡を写し取り)復元。下地の緋色の羅紗と、ヘリ 乳の抹茶色の羅紗は別染めウール100%の本羅紗を使用いたしました。龍の爪牙は古い錺金具を再メッキ。幕の下部分の七宝四段フレンジは白色正絹製で新調復元いたしました。

粉河北町 傘幕

粉河北町 傘幕1

粉河北町 傘幕2

「水引幕」大改修 明治中期製

地区名 兵庫県南あわじ市阿万(春祭り)本庄下組
図柄 「三顧の礼乃図」 寸法(14尺×2尺6寸5分)

明治中期に淡路島の掃守村(現・南あわじ市掃守)の刺繍職人、名工 小泉久吉氏によって制作された淡路型の水引幕です。図柄は「三國志・三顧の礼乃図」。劉備が諸葛孔明を自軍に招聘(しょうへい)する為、諸葛孔明 邸を三度に渡り訪れた。一度目は、諸葛孔明は不在。二度目は悪天候の中、訪れるが弟の諸葛均がいただけで諸葛孔明は不在。三度目に訪れたときは、諸葛孔明は在宅だったが昼寝をしていた。劉備は、諸葛孔明が目覚めるまで門の前で待つことにした。やがて目を覚ました諸葛孔明は、劉備を邸内に通し、待たせた非礼にと「天下三分の計」を唱える。劉備が諸葛孔明に軍師として招きたいとの意思を伝えるが、当初は仕えるのを拒む。しかし劉備の粘り強い説得により、仕える事となる。
※人物、馬、雲、岩、雪、笹の葉など、約100以上ある部品を旧幕から取り外し、それぞれのほつれを綴じ直しと糊入レで修複。傷みの激しかった人物の衣装の一部や馬の胸懸、雪など、純金糸と別染め(時代付け)の正絹撚り糸で新調。諸葛孔明の机の卓布は、わずかに残っていた古い糸を手掛かりに、正絹平糸の枡縫いで新調復元。失われていた関羽の武器「青龍堰月刀」も手打ちの錺金具で新調復元いたしました。下地の猩々緋羅紗は、別染めウール100%の本羅紗を使用いたしました。

2三国志

111111

22222222

「水引幕」大改修 大正10年代製

地区名 兵庫県淡路市生穂(春祭り)野田尾
図柄 「韓のケツ童子乃図」 寸法(14尺×2尺9寸5分)

大正時代に制作された淡路型の水引幕です。島内に数ある「韓のケツ童子乃図」の中でも、古い時代の作品のひとつです。
『韓のケツ童子乃図』~城を築いた蛇~晋の懐帝の永嘉年間(西暦307~312年)に韓媼(かんおう)という老女が野原で大きな卵を見つけ、家に持ち帰り育てたところ、やがて人間の赤ん坊が生まれたので、ケツ児(後のケツ童子)と呼ぶことにした。ある日、遊牧民族出身の劉淵(りゅうえん)という権力者が平陽の地に城を築こうとしたがなかなか完成しなかった。そこで築城の上手な者を広く募った。ケツ童子はそれに応募し、蛇に姿を変えると韓媼に灰を用意させ「私の這っていく跡に灰を撒いていけば自然に城の縄張りが出来る」と教えた。韓媼は彼の言うとおりにしたところ立派な城(金龍城)が完成した。
※金龍城、龍、ケツ童子、龍の尾を旧幕から取り外し細かく部品を分解して、ほつれの綴じ直しと糊入レで補修。背景の雲、波、波頭は純金糸で新調いたしました。失われていた龍の爪、牙は本象牙で新調し、錺金具「逆蓮頭擬宝珠」と「龍剣」は再メッキ。下地の猩々緋羅紗は、別染めウール100%の本羅紗を使用いたしました。

野田尾

3232

44444444444

「行燈幕」大改修 江戸天保年間(1830~44)年製

地区名 和歌山県紀の川市粉河 (粉河祭り) 天福町  
図柄 「海女の玉取り乃図」 寸法(13尺3寸×2尺1寸5分)

江戸時代に制作された黒羅紗地に金色の龍と白い波が美しく、印象的な飾り幕です。図柄は讃岐の国(香川県)の志度の浦の物語。「藤原不比等の命を受け、志度の浦の海女が、龍宮城の龍神に奪われた、面向不背(めんこうふはい)という宝玉を命を懸けて取り戻す」という伝説を、肉入レ刺繍によって表現されています。また黒羅紗に白い波が馴染むよう、白の撚糸にわずかに水色の絹糸を混ぜるといった工夫や、海女の髪の毛に実際の女性の髪の毛を使用するなど、各所にこだわりが見えます。 
※龍神に使われていた金糸の腐食が激しかった為、古い金糸をいったん取り除き、肉に綿を付け足し整えてから、新しい純金糸で刺繍復元いたしました。龍神の火焔、舌部分は猩々緋羅紗に綿を詰める古来の方法で復元。海女と龍宮城は比較的、保存の状態が良かった為、刺繍全体のほつれを綴じ直しと糊入レで修復。また下地の黒羅紗は新調。波部分は新しい撚り糸で刺繍復元いたしました。

行燈幕「海女の玉取り乃図」1

海女の玉取1

2

「傘幕」大改修 江戸天保年間(1830~44)年製

地区名 和歌山県紀の川市粉河 (粉河祭り) 天福町
図柄 「孔雀牡丹乃図」 寸法(14尺×2尺8寸)

江戸時代に制作された孔雀の尾羽根の躍動感ある表現がとても素晴らしい飾り幕です。孔雀はその姿の美しさ、色彩の華麗さにくわえて害蟲である毒蛇を駆除する動物として神仏を守護するものとされます。牡丹は、華麗さから中国では「百花の王」とされます。孔雀と牡丹の組み合わせは江戸時代から縁起の良い図柄として好まれてきました。
※傷みの激しかった孔雀の翼一部と足を新しく復元して、胴全体のほつれを綴じ直しと糊入レで補修いたしました。尾羽根は純金糸と別染めの新しい撚糸で古い図柄、縫い方を忠実に復元いたしました。牡丹の花と葉も一部を刺繍仕直して、花芯は「さがら縫い」という技法で復元いたしました。下地の猩々緋羅紗は新調。岩は古い撚糸をいったん取り除き、新しく肉を盛った後、元の古い撚り糸を使って再現いたしました。

傘幕「孔雀牡丹乃図」1

くじゃく1

くじゃく2

「水引幕」新調

地区名 兵庫県淡路市育波 (春祭り・秋祭り) 里之町
図柄 「韓のケツ童子乃図」 寸法(14尺9寸×2尺9寸)

「韓のケツ童子乃図」~城を築いた蛇~晋の懐帝の永嘉年間(西暦307~312年)に韓媼(かんおう)という老女が野原で大きな卵を見つけ、家に持ち帰り育てたところ、やがて人間の赤ん坊が生まれたので、ケツ児(後のケツ童子)と呼ぶことにした。ある日、遊牧民族出身の劉淵(りゅうえん)という権力者が平陽の地に城を築こうとしたがなかなか完成しなかった。そこで築城の上手な者を広く募った。ケツ童子はそれに応募し、蛇に姿を変えると韓媼に灰を用意させ「私の這っていく跡に灰を撒いていけば自然に城の縄張りが出来る」と教えた。韓媼は彼の言うとおりにしたところ立派な城(金龍城)が完成した。
※純金糸縫い潰しの淡路型水引幕です。龍の鱗は「立ち鱗仕上げ」、ケツ童子の衣装は「枡縫い」という技法で表現いたしました。また乳の紋は肉入レ刺繍で、神社の社紋である「橘」と、「育・波・里」「招・財・進・宝」の文字を角字で表現いたしました。

水引幕 韓のケツ童子乃図1

水引幕 韓のケツ童子乃図2

水引幕 韓のケツ童子乃図3

「緞帳幕」大改修 明治20年代製

地区名 和歌山県紀の川市粉河 (粉河祭り) 中町
図柄 「前九年の役乃図」 寸法(27尺6寸×4尺8寸)四張り分

明治時代に京都の大丸呉服店で制作されたもので「前九年の役」(1051~62年)、源氏と安倍氏の戦いの名場面を四枚の幕にまとめた名品です。
◆上左……源頼義が衣川の柵を攻めんとした時、兵士の喉の渇きを癒そうと弓弭(ゆはず)で岸を打つと岩間から清水がこんこんと湧き出した故事を表したもの。◆上右……わずか13歳で戦いに出陣した安倍貞任の長男、安倍千代童子の馬上の勇姿を表したもの。◆下左……右目に矢が突き刺さったまま、鳥海弥三郎(安倍宗任)を追い掛ける鎌倉景政。◆下右……源義家が敵の安倍貞任と連歌を交わす場面。
※傷みの激しかった人物の鎧や衣装は、明治期の縫い方に習い修復。復元部分は、そこだけ目立たないように別染めした絹糸を撚糸にして、刺繍仕直しました。下地の猩々緋羅紗は新調。また背景はすべて新しく復元。岩から湧き出る清水や松の枝、葉、砂などは旧幕から下絵を写し取り、図柄や配色を純金糸、正絹糸で細かく再現いたしました。

1-1緞帳 中町

左「源頼義水請乃図」 右「安倍千代童子馬上の勇姿乃図」

緞帳 中町2-1

「四方峠の戦い乃図」

緞帳 中町3-1

「源義家安倍貞任連歌乃図」

「行燈幕」大改修 江戸天保年間(1830~44)年製

地区名 和歌山県紀の川市 粉河 (粉河祭り) 本町
図柄 「唐獅子牡丹乃図」 寸法(12尺×2尺4寸3分)

江戸時代の「縫い潰し」という技法で制作されており、県下には例を見ない豪華な飾り幕です。図柄は「百獣の王」である獅子と「百花の王」である牡丹を描いた「唐獅子牡丹乃図」です。中央に色鮮やかな瑠璃色(るりいろ)の唐獅子と、その周りに豊かな色彩の牡丹の花が肉入レ刺繍によって表現されています。また最大の特徴は張り子製の獅子の頭である。獅子舞いに使用される獅子頭(ボテ製)と同じようなつくりの頭が、そのまま幕に縫い込まれています。張り子と刺繍が組み合わさった非常に珍しい貴重な飾り幕と言えます。
※下地に使われていた古い撚糸をすべて取り除き、駒に巻き取り、再び縫い潰しで復元いたしました。牡丹の花と葉は一部を刺繍仕直して、岩は綴じ直しと糊入レで補修。獅子は部品(頭・胴・足)を分解した後、抜け落ちた毛は瑠璃色に別染めした絹スガ糸を使って、同じ技法で植え込み復元いたしました。また旧幕と同じように幕の裏地には猩々緋羅紗を使用いたしました。

0919ad1bd0cb04c6e6f4053c69221f6d

88-1

88-3-1

「水引幕」大改修 昭和初期製

地区名 兵庫県南あわじ市養宜上 (春祭り) 上八木中若会
図柄 「追い掛け龍乃図」 寸法(14尺×2尺8寸)

昭和初期制作の淡路型の水引幕です。淡路島では、この頃から、明治期の布団だんじりの大改修や新しい布団だんじりの制作が盛んになりました。かつて羅紗地の水引幕が主流でしたが、大正時代に四国地方の刺繍職人が淡路島に流れて来た影響で、金糸の割合が多く、より立体的な刺繍が好まれ、四国系水引幕の制作が増え始めました。淡路島では、本作品を「潰しの追い掛け」と呼び、幕全体を24金の純金糸で縫い潰しをするという。たいへん豪華な仕上がりとなっております。
※ 二匹の龍を旧幕から取り外し、細かく部品を分解して、ほつれの綴じ直しと糊入レで補修いたしました。龍の火焔は純金糸の撚金で新調。背景の波と波頭も純金糸で新調いたしました。龍の牙、爪には本象牙を使用。龍剣は特注の錺金具を使用。また乳の紋は肉入レ刺繍で、神社の社紋である「左三つ巴」と「上・八・木・中・若」の文字を角字で表現いたしました。

上八木中若1-1

上八木1

上八木2

「水引幕」大改修 昭和30年製

地区名 兵庫県南あわじ市阿万(春祭り)伊賀野
図柄 「桶狭間の戦い乃図」 寸法(14尺5寸×3尺1寸5分)

昭和30年に淡路島の津名郡生穂町(現・淡路市生穂)のだんじり業者「大歳」によって制作された水引幕です。大歳は元々は造り酒屋でしたが、大工職人や金具職人、刺繍職人を呼び寄せて、だんじりの製造を一手に引き受けていました。戦後、大歳は、播州の「絹常」で働いていた刺繍職人を数名招いて、四国系の刺繍を意識し、絹常流の御殿の入った純金糸縫い潰しの飾り幕をいくつも制作しています。人物の顔の表情や衣装の縫い方には絹常の特長が色濃く感じられます。その中で本作品である、「桶狭間の戦い乃図」は大歳、最後の作品だといわれており、たいへん貴重な水引幕と言えます。
※龍と人物、城を旧幕から取り外し、細かく部品を分解して、ほつれを綴じ直しと糊入レで補修いたしました。背景の波と雲は、古い金糸を全て外し、駒に巻き取って再び刺繍で埋め込みました。岩の一部は新しく復元をして。龍の牙、爪は磨き直し、欠損は本象牙で新調いたしました。

d222fdb5136d0f624f8ad4ba3f56fab1

桶狭間1

桶狭間2

「緞帳幕」大改修 幕末~明治初期製

地区名 和歌山県紀の川市 粉河 (粉河祭り) 北町
図柄 「佐久間玄蕃太閤本陣乗込乃図」 寸法(29尺×4尺6寸)四張り分

幕末~明治初期に兵庫県の神西郡千原村(現・神崎郡市川町千原)の刺繍職人、岩田虎市氏によって制作された飾り幕です。下絵の名に「岩」の印があることから、自ら下絵も描き刺繍を制作していたものと思われます。図柄は「賤ヶ岳の戦い」天正11年(1583年)、柴田勝家の家来である佐久間玄蕃が羽柴秀吉の本陣に乗込む場面を四枚の幕にまとめたものです。
※特に傷みの激しかった人物の鎧や衣装は、明治初期の縫い方に習い修復。非常に細かい撚糸で表現された馬の毛は、旧幕と同じように「毛出し縫い」という技法で復元いたしました。下地は、少し朱色に近い緋色の羅紗地で新調。背景はすべて新しく刺繍仕直し、岩田氏の図柄の特長を再現いたしました。また七本槍の槍先や兜の鍬形は、特注錺金具で一つひとつ手打ちで復元いたしました。

緞帳 北町4-1

緞帳 北町1-1

緞帳 北町3-1

「行燈幕」大改修 幕末~明治初期製

地区名 和歌山県紀の川市 粉河 (粉河祭り) 中町
図柄 「鷲九尾狐牡丹乃図」 寸法(11尺5寸×2尺1寸5分)

幕末~明治初期(推定)制作の飾り幕です。黒羅紗地に九尾の狐を追掛ける冠鷲と周りには牡丹の花が肉入レ刺繍で美しくあしらわれています。九尾の狐は「太平広記」など一部の伝承では、平安な世の中を迎える吉兆、幸福の象徴として描かれています。冠鷲は「百鳥の王」。牡丹の花は「百花の王」と言われ三つの吉祥物の組み合わせの図柄は、一部の古い歌舞伎衣装の刺繍に使用されていますが、飾り幕としては、中町の行燈幕以外は確認されておりません。非常に珍しく貴重な飾り幕と言えます。
※九尾の狐、牡丹の花、葉を旧幕から取り外し、それぞれのほつれを綴じ直しと糊入レで補修いたしました。冠鷲と牡丹と葉の一部、岩は傷みが激しかった為、新しく復元。下地の黒羅紗は新調。ヘリと乳は、旧幕と同じように緑羅紗で再現いたしました。

13499340de6810d6fecc7ddf37c0b309

中町1

中町2

「水引幕」大改修 明治36年製

地区名 兵庫県淡路市木曽上 (春祭り) 木曽上
図柄 「追い掛け龍乃図」 寸法(13尺9寸×2尺9寸5分)

明治36年に淡路島の掃守村(現・南あわじ市掃守)の刺繍職人、名工 小泉久吉氏によって制作された淡路型の水引幕です。猩々緋の羅紗地に躍動感ある雌雄の龍が追い掛け合っている姿を肉入レ刺繍によって表現されています。尾の先に剣を持っている龍が雄で、手に宝珠を持っている龍が雌とされます。また宝珠には大きなガラス玉がはめ込まれています。追い掛け龍の図柄は祭礼用の飾り幕として、たいへん好まれ、淡路島内でも、多数存在します。中でも本作品は明治時代の名品と言えます。
※二匹の龍を旧幕から取り外し、部品を細かく分解して、ほつれを綴じ直しと糊入レで補修。龍の火焔は糊入レで補修した後、彩色をして、元(新調時)の色に戻しました。龍の背ビレは、分解をした際に、昔の色糸が残っていた為、それを元に同じ色(藍色)の撚り糸で復元をいたしました。下地の猩々緋羅紗は新調、背景の肉入レの雲は載せ替え、直縫い部分は純金糸で新しく復元いたしました。

29c9657c2b8285ec7bf484b22d108c0a

木曽上1

木曽上2

「土呂幕」新調

地区名 和歌山県御坊市 (御坊祭り) 御坊町
図柄 「黒羅紗地に蛇乃図」 寸法(15尺2寸×2尺)

和歌山県日高地方の祭礼で使用される獅子頭を運搬するための道具を「屋台(やたい)」と言い、その屋台の長持(ながもち)に飾る幕を「土呂幕」と呼びます。御坊祭りの獅子屋台の歴史はたいへん古く、江戸時代初期(延宝年間1673~1681年)には既に存在し、およそ300年以上の歴史があるといわれています。
※黒羅紗の下地に御坊町の町印である「鳥居」と向かい合う二匹の「蛇」を肉入レ刺繍で表現いたしました。また乳には、金糸刺繍で、本願寺日高別院の寺紋である「西六条下がり藤」そして「御坊町」の文字と、御坊町内七つの組、「東上・東下・中上・中下・西上・西下・古寺内」の文字を角字で表現いたしました。


双龍乃図2-2

双龍乃図2-2

双龍乃図1-1

  • 薋
  • V
  • Pg
  • |
  • zc
  • qߑ
  • ̑

ページの先頭へ